九十九里町は、昭和30年に3町村(片貝町、豊海町、鳴浜村作田地区)が合併したことにより誕生した町です。今や九十九里と言えば海水浴やマリンスポーツのメッカとしてとても有名です。
白子町は明治22年に14村が合併して、関、南白亀、白潟の3村にしました。その後白潟村は町制を施行して、昭和30年に関・南白亀の2村と合併して白子神社から名をもらい白子町として誕生したのです。
白子町は温泉町でもあり、1989年に開湯したと言われてます。特に砂風呂は有名でこの地で採掘される天然ガスを利用して古くから存在しており、約40年の歴史があるとされています。
九十九里は江戸時代から「いわしの町」として栄えてきました。
いわしの加工食品を始めとして、水産加工業は町の産業を支える大きな柱です。 先人によって培われた歴史が「いわし文化」と呼ばれるほどのこの地の風土を築きあげてきました。そして代々引き継がれてきたいわし料理はいまや200種にも及ぶほどです。
冬に多く作るゴマ漬けはお土産品としても人気が高く、またとれたての海の幸を地元ならではの盛り付けで食べる磯料理も自慢です。
また、温暖な気候と豊かな自然を生かし九十九里産の農産物はシェアを広げており、毎週日曜日には"朝市"を開催し直売をしておりとても活気があり楽しめます。
イワシは、年間水温10~20度の海域に、南北両半球ともに広く世界的に分布し、 プランクトンをエサにして季節的に北から南へと回遊します。 ちなみに九十九里では黒潮が沖を通るため、水温や、塩分の濃さが、イワシの住むのに適しています。
白子温泉はまだ聞きなれない人が多いかもしれません。有名なものは白子の天然ガスを利用した砂風呂です。白子町にあるアクア健康センターでも楽しむことができます。 砂風呂は常に45~50℃に保たれた温かい砂床を掘り、その中に浴衣を着たまま入ります。その上から温かい砂をかけ、全身を温砂で覆うのが、砂風呂の入り方。時間は初心者で15分、慣れていても30分程度です。
15分~30分程度のことですが、かなりの体力を消耗しています。 十分に水分をとり、40分ほど、ゆっくり休息してください。
関節痛・筋肉疲労・肩こり・腰痛・五十肩・関節のこわばり・冷え性・うちみ・切傷・やけどに効能があります。
入って少しすると汗がじんわり。もう少しすると手の先がどくどく脈打つのがわかり「血がかけめぐってる!!」そう実感できるはず。
砂の適度な圧力も手伝って、その効き目は通常の温泉の3~4倍と言われています。
九十九里は海水浴やマリンスポーツの他に文学とも縁があります。 かの有名な「智恵子抄」の一節に「九十九里浜の初夏」を記した高村光太郎を始め、数々の作家がこの地を訪れているのです。 また江戸後期の著名な地理学者・測量家、我が国最初の実測地図「大日本沿海輿地全図」を作成した伊能忠敬は九十九里町に生まれた人物です。過去の様々な歴史と文学をしのんで、数々の文化財、文学碑を巡り歩く散策も見逃せません。
高村光太郎(たかむら こうたろう)[1883~1934年]
彫刻家の高村光雲の三兄弟の長男。東京美術学校彫刻科に入学。ニューヨークに1年間、その後ロンドンに1年間、パリに9ヶ月滞在し帰国。 1914年長沼智恵子と結婚。その後智恵子の実家が破産し、この頃から智恵子の健康状態が悪くなり後に統合失調症を発病した。1938年に智恵子と死別し3年後にあまりに有名な詩集『智恵子抄』を出版。 1956年に結核のため死去。
竹久夢二(たけひさ ゆめじ)[1884~1934年]
画家、詩人。本名は茂次郎。 岡山県生まれ。早稲田実業学校を中退。同年から新聞・雑誌などにさし絵や詩も寄稿する。美人画、木版画のほか楽譜や本のデザインも手がけ、日本のグラフィックデザイナーの先駆者として多く作品を残す。昭和9年富士見高原療養所で死去(51歳)。
小唄集で発表した詩「宵待草」を刻んだ詩碑があります。
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